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ゆるキャン△とスノーボードとオタク

ポエム:キャリアの分かれ道

ハロートナミです。日記を書きます。ポエムです

 

ふと、今の会社に新卒で入社してから4年経った事に気が付いた。

5年目の社員となった私は3年目の後輩数人をまとめてプレイングマネージャーのような形で開発チームのエセリーダーをしている。

もしかしたら少し遅いかもしれないが、唐突に、自分に訪れたキャリアの境目を自覚した。

 

3年目ぐらいまでは開発の仕事に、何よりエンジニアリングの勉強に集中出来ていた。新しい言語を体験し、家でもアプリを書き、フレームワークの仕様書を楽しみながら読んでいた。

社内でも開発を頑張っている若手として認知され、社内用の小さなアプリの開発等も積極的に請け負った。全ては実績として上司に報告し、どうやらそれなりの評価を得ているらしかった。

 

それなりの評価を得た私は、後輩をまとめるリーダーに祭り上げられた。そこでキャリアの境目が始まった。

今まで自分のスキルアップに集中していた学習時間は、気付けばチームをどう運営するか、後輩をどう指導するか考え、学習する時間になった。

執務中、目の前のタスクを片付けるため、機能をコードに落とし込む事に集中する時間は無くなり、後輩をどう動かすか、上司に何を報告するか、プロダクトの方向性とプランをどうするか考え調整する時間になった。

社内に参考に出来るような教育スキームは無かった。本を読み、ネットをあさりながら、試行錯誤でチームビルディングを行った。

 

チームが出来てから1年以上が経ち、各メンバーのスキル的な個性も芽生え、小規模ながらも開発は回るようになった。見積もりを誤って(あるいは、横道に気を取られて)遅れを生む事もあったが、今の上司、クライアントに対する調整の仕方を覚えてやり過ごせるようになった。

そして先日、ふと気付いた。エンジニアとしての能力が伸びず、マネージャーとしてのスキルが伸びてきている事に。

 

私は別にマネージャーになりたいわけじゃない。強いてどちらかで言えば、俄然エンジニアになりたい。

でも、会社で求められてるロールはそうじゃない。手を動かすメンバーを確保出来ている状態では、多分私は調整の役目を請け負ったほうが良い。

何しろエンジニアはたくさんいる。日本においてはスペシャリスト的でない量産型のエンジニアは、本当に無数にいる。自分自身、無数のエンジニアになるぐらいであれば、無数のエンジニアをコントロール出来る存在になった方が重宝されるだろう。

気持ちの上ではスペシャリストを目指したいが、可処分時間だけで目指せるだろうか。今からコンピュータサイエンスを必死に学んだとして、例えばGoogleMicrosoftに入社出来る日が来るだろうか。何かの分野で突出したスキルを持ち、年収1000万円オーバーで歓迎されるような人材になれるだろうか。分からない。出来ないのでは?という弱気な考えがちらつく

ちらつく、弱気な考えの根本は家だ。私は既婚者で、妻とは子供が欲しいなんて話をしている。すると、自分の目指すところはどこなのか本当に分からなくなる。自分が独り身だったら、マネジメントのスキルアップは仕事が回る程度で抑え、開発の勉強をするだろう。スペシャリスト的なキャリアを目指すだろう。転職も是非やっておきたいところだ。だが現実には妻がいる。もしかしたら近い将来子供が出来て、博打要素のある行動は許されなくなるのかもしれない。時間が、無いのかもしれない。

 

時間が欲しい。全ては時間が足りない事に起因する。働いて、勉強して、ゲームもして、楽器も弾いて、冬はスノーボードに行き、友人らと楽しく過ごす。これだけの時間が人生には必要なのに。時間はどこにあるんだろう。どうしてタイムリミットなんてものがあるのか

 

妻は30までに子が欲しいという。私は、分からない。子が出来る事で失うものが、物凄く沢山あるように感じる。得るものがある一方で、今を逃したら手に入らないものが脳裏をよぎる。子供は可愛いと思う。自分の子供が出来たら、それで気持ちがいっぱいになって、もう勉強なんて出来ない気がする。子供に全ての時間を取られ、何者にもなれないまま今の会社に居着き、死んでいく。そんな気がしてしまう。自分自身を変化させられない人間になる事が恐ろしい。変化出来ない事は恐ろしい。私は柔軟でありたい。この悩みに答えが欲しい。最近、ずっと悩んでいる。

 

おわり